家庭の維持

どうも、岩崎です。

夫婦と家庭の話をしようかと思います。

私は別にカウンセラーや離婚アドバイザーとか

そういった人ではないので私が感じる事を

そのままつらつらと書こうと思う。

えー、久しぶりにお会いした知人の方が離婚していました。

その人の子供は小学校の上級生程度で一般的な離婚危機の

年齢ではないのにな?とちょっと思いました。

ちなみに一番離婚が多い子供の年齢が

0~2歳の時に一番離婚率が高いそうです。

理由は夫の子育てへの参画不足

家事への参画不足

妻の産後ケア不足が多くあげられます。

夫は夫で初めて父親になるものだから

今までの男女交際とは付き合い方に変化が出るのは

当たり前の事であるのだが、行動に移せないで居ることの

多いこと。

父親とは? を学ぶ機会などほとんど無いのだから

自分の過去の体験や本などで学ぶしかないのである。

しかしながら、父親になった!からと

本で学ぶ人もそうはいないだろうし、居たとしても

それはそれでうすら怖い。

通常なにかしら壁にぶつかった際に、知恵を得るために

本を読むのであるので事前に学ぶとは、そう多くは無いでしょう。

その際父親として、参考にしているロールモデルが

自分の父親であろう。

「うちではこうだった。」が誰にとってもそれが一番の普通なのだから。

ところが、普通なんて物は無いと思っていたほうがいい。

うちは変わってる、位の認識でないと他人との常識の壁は

なかなか乗り越えられるものではないのだから。

ともかく、変わっているのだから「違って当たり前」なのであって

そこから、家庭を始めていくべきなのではなかろうかと思う。

始めていくべきとは、取り合えず自分の考えは述べつつも

違う事に拒否を見せず話を擦り合わせていくと言う作業が

長いこと家庭を維持する事の秘訣ではなかろうか。

夫が食器を洗ってくれない。

話をすると「それは妻の仕事と」実家ではそうなっていた。

そう言った場合、単純に妻側の負担が増えることを意味する。

妻側も、もしかしたら自分の親から「それは女性の仕事よ」と

念を押されている場合もあると思う。

表面上はそれで生活が出来ているかもしれないが

妻としては水面下でどちらにも弱音を吐けない状況が作られ

非常に鬱憤の溜まる作業を自分の中でも消化できずに

行なっている場合も多々あると思う。

問題は夫婦間だけではなく、生まれ育った家庭の基礎部分も

「関与」してくるものだと考えています。

もちろん、良い関与もあれば悪い関与もあってしかるべきでしょう。

家庭を運営していく中では

目をそらしたい日常もあるでしょう

気がつきたくない所もあるかもしれません。

それは、目をそらしても鬱憤として蓄積され

ある日、離婚届けが目の前に突きつけられるかもしてません。

さて、鬱憤は誰にでも溜まるものです。

むしろ、溜まって当たり前。

相方にお聞きして見て下さい「鬱憤溜まってる?」

もし「溜まってないよ。」と言われたらそれこそ怖い。

怒っているときこそ「怒ってないよ?」理論です。

そこで上手く息抜きや休息が必要で「遊び」に出たりして

鬱憤を解消していく作業がこれまた必須。

しかしこれまた、この鬱憤にも「質・カテゴリ」があると

個人的にそう思います。

例えば性に対する鬱憤を食や遊びで解消は中々出来ない。

睡眠に対する鬱憤を性や旅で解消することは出来ない。

こう言うように、もしも鬱憤の質が「日常系」であれば

「日常系」でしか解消できないのではなかろうか。

この際の日常系とは家事育児全般である。

もし、日常系の鬱憤を旅行や友人達との遊びで解消できるのであれば

旅行なら数ヶ月に一度、友人達との遊びなら月一でも取り入れたらどうでしょう?

非日常を味わうことで気分転換にはなるかと思いますが

根本の鬱憤の質をみあまっているのはないか。

特に特別な事でなく「食器洗い・洗濯・掃除・育児・地域活動」。

この普通の日常生活の中にある作業を折半しあうだけで

家庭の維持はより良い方向に向かうのではないでしょうか?

この家事育児をやったこと無い人には大変苦痛かもしれませんが

その苦痛を誰かがやっているお陰で家庭が運営できていることに

「目をそらさずに」「きちんと気付いて」

楽しい家庭を築いていきましょうよ。

そう思う34歳でした。