PS
昨日これをアップした後に感じた事なんですが
わざわざ記事にするほどの内容でもなかった事を伝えます。
千の風になってと言う曲が一昨年ぐらいに流行りましたね。
「私のーお墓の前でなかないでくださいー。」 とね。
これを初めて聞いた時は正直 「なんやこのこもった歌声は!」
と感じたものです。 自分に正直に・・・・・岩崎です。
後 墓屋も怒るだろうな・・・・・と感じたものですが
今日仕事を終え、修行場である浴室にて滝業を行っていたときですよ。
(墓は必要ないんか 散骨(ちりじりに散って所在もわからない状態)でも
ええんか? 心で思い出して手合わすときはそれでもいいな
家族で先祖祈るときは何処いったらええんかな? 勝手に個人主義で
あっちこっち向いて祈るんか?
あれ?墓ってなんやろ あれってキリストの十字架みたいな偶像みたいなもんか?
心に居ればいいのだったら教会はいらんな
あれ 教会って祈るだけの場所だっけ・・ 墓は挨拶をしに行くだけの
所っけ? )
なんて事を考えていたら 私の考えでは墓は偶像で
墓石 墓樹にしろ象徴的なものであり 必要がないというイメージを与え
かねない歌を否定しつつこう 言いたい。
なにも無い所からルーツは生まれないだろ、ルーツはなくして
人格の補完もないのではなかろうか?
墓は自分のルーツであり 記録でもあるんじゃなかろーか.