読書の事

どうも 岩﨑です。

今年に入り自分が読める小説が
ようやく分かり、今更読書の楽しみを
経験している。(なんとハードボイル系)

小説を読むようになった背景と
小説を読めないと感じた背景を
文字化してみようと思いました。

遡る記憶では
小学生の頃に教科書や
絵本を読んだ記憶があるのです。

教科書の話は結構好きで読めていたのですが
学校の読書タイムでは小説を全然読めなかった。

どんな本を選んでいたのかと言うと
覚えているのは江戸川乱歩の推理小説。

多分大人びたタイトルで子供心に
かっこいいと感じたのかもしれないが
内容は全く頭に入らず
読書が苦痛と言うよりも
自分に合ってないと感じた時間であった。

その後、本離れが進み
中学生の頃は文庫を読んだ記憶がほぼない
高校になり多少なりとも
本読まないとやばいよな・・・
とそんな気持ちに襲われて
色々試してみると
自分にはエッセイが読めるものだと認識し
エッセイだけは読めるようになった。

群洋子ありがとう。

しかし、読めると娯楽は違くて
面白いけど、他に優先することがあり
読書は後まわしになる事が多くなった。

なったと言うか
やはりほぼ読まなくなった。

僕はこの経験から
可処分所得時間と言う物を体で感じた。

人は一日の時間の24時間を
何に消費するのか?
生きるために必要な事
生活の上で義務的な事
自分に課せられた課題の事
と言う生きる上で
絶対やらないと良くない事で
人生が作られて
それ以外の時間を
人は余暇と呼び
これを生きがいに生きている人も
実はすごく多い。
EU圏だと
余暇の為に仕事しているんだと
言い切る人が本当多い。

余暇の使い道は
旅行や外食、ゲームやスポーツ
テレビやネット、映画や読書等がある

今の人は
余暇の時間を
買い物やネットサーフィンで
過ごす人が多いと感じる。
人は隙間時間にずっとスマホを見ているからだ。

人が何に時間を使うのかは
その人の自由であるが
無数にある娯楽の中で
読書を楽しむ体験が無ければ
読書を体験する選択肢は選ばない。

ゲームよりも本
ネットよりも本

何々よりも本。
と言う選択肢が前に立つ事で
人は読書を選択する。

そのためには
本のレシピの様な物・・
あなたはこの本読むと
楽しめますよってコーディネーター(司書)
が率先してサービスできると良いのだけど
司書は受け身なので
読み手と司書の接点が生まれにくい。

そもそも読まない人は
本屋に行かない
図書館に行かない。

そこからの人を呼び込む設計が
必要だ。

そして最大のやるべき事は
子どものうちに「本を読める体にしてあげる事」

楽しい読書体験を提供する事だと思う。
そのためには大人びた本ではなく
等身大で楽しめる本選びを
学校司書にはそこを期待したい。

そしてその根幹は家庭教育にあるので
親は子供が本を読める体制を
提供できたらとても良いと思う。

#読書推進
#大村市読書
#大人も本を読もう